自己紹介

ご挨拶

%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e7%94%a8%e5%86%99%e7%9c%9fはじめまして。渡辺史子です。

さとう式リンパケア
公認インストラクター・シューマイスター

国際ウェルネス協会
MRTマスター・セルフケアマスター

看護師・看護学修士・保健師でもあります。

約30年間、看護職として医療の現場に携わってきました。
心身の健康問題は、現在の医療が役立てる部分は僅かなものです。病気ではないけれどつらい症状や困り事は民間療法で。そのように使い分けしておられる方は大変多いです。けれども、それでも改善せず、あちこち尋ね歩くしかない。そして、体質だから、遺伝だから、加齢だから、ついには、不運だから、と諦める…。
かく言う私自身も、数年前から不調が強くなり、毎日午後になると疲労が強く、休日には寝ている状態でした。そんな時に「さとう式リンパケア」を知りました。体調が改善していく、のみならず美容面も変化する!! さとう式の理論もとても腑に落ちるものであり、今迄何故多くの人体の専門家が見落としていたのだろうと思うほどです。
日常の不調や美容上の悩みこそが蔓延しているとも言え、それらが改善すれば、どんなに生き生きと毎日を送れるでしょうか。また、それらが改善していくことが、病院にかからなければいけないような疾病も予防することにつながります。
不調や悩みというものは、一人一人本当に違います。顔のシミ一つとっても、他人からみれば何ともなくても、当人にとっては深刻な悩みであったりします。いい悪いとか正誤の問題ではないし、他人と比較すべきものでもありません。言い換えれば、希望や夢もお一人お一人違うという事です。
医療の世界では、時間的物理的な制約もあって、お一人お一人にじっくりかかわる事はなかなかできません。これからは、もっと身近な日常で、もっとお一人お一人のお気持ちや状況に寄り添いながら、もっと傍にいながら、いつでも力になれ、見守れる。
そのようにお役に立っていきたいと願っています。

血液型B型、水瓶座、細木数子さん的に言うと天王星人

好きなもの:猫、コーヒー、ドリアン、夏、新緑

習い事:小唄、日舞 他にも習いたい事数件あります♪

今更ですがなりたい職業:探偵、週刊誌の記者、絵描き。その時々の気分で他にもあります(笑)

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略歴

昭和43年1月 兵庫県生まれ。
京都第二赤十字看護専門学校卒業後、京都第二赤十字病院救命救急センターに勤務。
平成8年~11年 青年海外協力隊 インドネシアで活動。
平成12年 千葉大学看護学部編入学
平成14年 結婚
平成15年 保健師免許取得
平成17年~20年 ベトナム在住
平成20年 麗扇会京着付正師範取得
平成21年 グリフィス大学院卒業・看護学修士取得、着付け教室開講
平成27年~28年 さとう式リンパケアインストラクター・国際ウェルネス協会MRTマスター、セルフケアマスター資格取得
平成28年 さとう式リンパケアサロン「れいしあん」開業
 

もうちょっと詳しく

 兵庫県の但馬で生まれ育ちました。
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山並みの優しい中国山地にある豪雪地帯です。湯村温泉、城崎温泉、雪質の良いスキー場、リアス式がとても美しい日本海、松葉ガニ、そして松坂牛や神戸牛となる但馬牛の産地でもあります。登山家の加藤文太郎さん、冒険家の植村直美さん、小説家の山田風太郎さん、沢庵宗彭和尚さん等々が但馬出身ですね。

【幼少期~高校時代】

img_3598明治生まれの祖父母、昭和一桁と11年生まれの両親のもと、三人きょうだいの末子です。私の家族とは思えないほど、とてもいい家族に恵まれました(笑)。

人見知りが強く、そのわりになつくのは早くあけすけ、天邪鬼、集団行動が苦手…という、絵に描いたようなB型でした。今もです(笑)。中学時代はバスケット部。弱小でしたが、とても楽しかったです。そういえばキャプテンでした。人選ミスです(笑)。高校時代は、部活を転々としていました。

中学の時、「努力しなくても人並み以上に出来るのは、実は損な事なのだ」と、担任の先生に言われました。同級生達の地道に努力する姿も見ました。そして「血の滲むような努力をして何事かを達成する」というのが目標になりました。で、40歳頃に、「自分の性には合わない」と漸く自覚しました(笑)。でも、人間のそういう姿はとても美しいと思います。

田舎なので、自然に囲まれてのんびり育ちました。塾もなく、受験勉強も殆どしませんでした。子供時代をそんな事に費やさなかったのは本当によかったと思いますし、四季折々の自然の風物がとても懐かしく思い出されます。何事にも代え難いものです。

【看護専門学校~救命救急センター看護師時代:於 京都】

子供の頃は、画家とかジャーナリストになりたかったような記憶がありますが、はっきり覚えていません。中学生の頃だったか、「自分の夢を追っている場合ではない、人の為世の中の為に役立つ事をしなければならない!」と、強く悲壮な(?)決意をした覚えがあります。どんな事でも何かしら役に立つので、別に自分の夢を追ってもよかったと今なら思いますけどね(笑)。で、高校生の時だったと思いますが、アフリカで大規模な飢饉が起きました。新聞に、「何万人もの難民キャンプに、医師や看護師は数人」という内容の記事がありました。「看護師になってここに行く!」と思ったわけです。このような問題の解決は高度に政治的なものですが、勿論そんな事さっぱり分かりません。単純に、純真に、看護師になって難民キャンプに行って貢献したい、という思いだけでした。

そして、運良く、希望校であった京都第二赤十字看護専門学校に入学。当時でも、自衛隊か日赤くらいだと言われた全寮制で三年間を過ごすことになりました(笑)。

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これは、今では珍しい戴帽式の時の写真です。文字通り、同じ釜の飯を食べた同級生達。眠い講義も(笑)、厳しい実習も、或いは楽しい生活も、共に過ごした一生の仲間。本当にありがとう! 

卒業後は、京都第二赤十字病院の救命救急センターに配属されました。希望したからです。一番難しそうだったから。(どの部署でも難しいですよ)。

三次救急という忙しく目まぐるしい職場は、私の性には合っていたみたいで、数年間、とても楽しく充実した仕事中毒の日々でした(笑)。しんどい事も多かったですが、楽しかったという印象しか残っていません。勉強し、経験も積んでいけるのが、とても楽しかったです。

でも、私には、海外に行くという夢が…。

ずっと異動せずに置いてくれていた救命センター。三次救急に大変未練はありましたが、看護師としての基本的実力は身に付けたし、本来の夢を追う時期が来たわけです。正直、このまま救命センターにいたいと思うほど、楽しかったのです。これも、私を働かせて下さった皆様のお蔭。大変ありがたい事でした。

【青年海外協力隊】

いざ海外で活動といっても、それはもう多くの団体があります。しばらくはそれらの情報収集をしていました。高校時代からの憧れは「国境なき医師団」でした。

 

 

私が高校生の頃には既に、多くの実績があり国際医療協力の世界では確固たる地位を築いていた団体でした。参加したい気もしましたが、語学がネック・・・。
そして、当初は全く視野に入っていなかった「青年海外協力隊」を受けてみる事にしました。同級生が参加したので、まあ協力隊でもいいか、となんとなく思ったのです。

そして、幸い合格し、インドネシアのスラウェシ島のウジュンパンダン市の病院に派遣されました。以前はマカッサル(現在もマカッサル市になりました)という所であり、「セレベス島のマカッサル」と言えば、兵隊さんで行かれた方はご存知です。現地の年配者の中には、日本語ができたり軍歌を歌える人もいました。もとはオランダの植民地だったインドネシア。日本軍の基地か何かに勤めていたというある年配の方は「インドネシア人もオランダ人も日本人もいっぱい死んだ。もうそんな事はないようにしたいね」と話していました。

派遣されていた病院の前で。        現地の実習中の看護学生と。

活動は、たいした事は出来ませんでした。日本であれば助かる患者も、次々亡くなっていく状況でした。それを考えるとつらいものがありますが、そこで出来る事をするしかありません。「ああした方がいい、こうした方がいい」とアドバイスします。でも、返事だけで実行はしません(笑)。それならと、自分だけでもコツコツやっていると、不思議なもので、真似をする人が出てくるのですね。こういう所は日本と同じだなあと思ったものです。(但し、どの国でもこれが通用するわけではありませんから要注意)。
生活は、現地のおうちにホームステイ。母親と美人双子姉妹と弟。とても親切に私の面倒をみてくれました。異文化の中ではストレスも多いですが、憩いの場でした。派遣先の職員達もそうです。
その国の人々が受け容れてくれてこそ、私達は活動も出来るし、そもそも生きていけるのです。三年間、よそ者で文化習慣も異なる、宗教も異なる私を受け容れてくれました。多くの事を大目に見てくれていたに違いないと、今ではわかります。腹が立つ事もいっぱいありましたが(笑)、今となっては有り難い思いでいっぱいです。

長くなったので、また後日・・・。

 

 

 

 

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